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紅葉燃ゆ平和を祈る碑に みのる


池田市久安寺にあるこの碑には次のように彫られている。

『閃光の記憶に鶴を折りつづけ』

俳句として詠まれたものかどうかは定かではありませんが、素直な17文字で綴られたこの詩、あなたならどのように鑑賞されますか。

鶴が季語なら冬季の句ということになります。けれどもそもそも折鶴に季節感はありません。閃光の記憶という措辞から連想すれば、原爆犠牲者の冥福を祈る鎮魂の詩ではないかと想像できます。

あのような忌まわしい殺りくが二度と繰り返されないようにと、来る年も来る年も忘れずに千羽鶴を折って祈りを捧げる。そんな作者のあつい思いが感じられないでしょうか。

もしそうだとしたら、平和への祈りが込められた原爆忌の句として鑑賞できると私は思います。

俳人は得てして季語の有無について詮索し配慮のない議論をしがちですが、季語が入っていても季感が伝わらなければ俳句とはいえません。そしてたとい季語が入っていなくともこの一碑のような立派な作品があるということを訴えたいのです。



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無為といふ至福の時間日向ぼこ みのる


星野富弘さんの詩には不思議な癒やしの力があると思う。

私たちは、若くして身体的に大きな障害を背負われた星野さんの境遇を知っている。そういう先入観で詩を鑑賞するからだらだろうか。でも、そうではないような気がする。

順風満帆、幸せを感謝するのは誰でも出来ることだけど、逆境にあってもそこから希望を見出して感謝することができる。たとい手足は動かなくとも生かされていることに意義を見出してそれを喜ぶことができる。深い深い絶望の淵でキリスト教信仰と出会い、星野さんの中の価値観、世界観が180度変わってしまったのである。

私たちが日々大切だと考えているものが、星野さんの価値観から見れば大した意味はなく、どうでもよいことなのだ。私たちの心の裏側に隠されて見えなかったその真理に気付かされるから、星野さんの詩に癒やされるのだと思う。

つまらない拘りを捨てて素直になれれば、もっともっと楽しく生きられるのにと自戒しつつ、

“そんなに簡単なことではないよ”

と、ささやくもう一人の自分と戦っている。



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枯蟷螂睨むまなこはエメラルド みのる


ゴキブリだけはどうしても好きになれないけれど、昆虫類は大好き。

小学生の頃、蚕を飼って毎日桑の葉を与えて世話をしたり、柑橘類の葉に見つけた揚羽蝶の幼虫を育てたりしたのが懐かしい。絶滅を危惧されているゲンゴロウやタガメも健在だった。

彼らの生涯はとても短いけれど、環境や生存競争と戦いながらその日その日を健気に生きている。こんな小さな命をも神が創造し生かされているのだと思うと命の尊厳を深く深く思う。

『捕らえた昆虫は大切に飼育するか、それができないのなら逃してあげなさい。』

と、大親友だった理科の先生が命の大切さを教えてくれた。

教会学校ではクリスマスになると子どもたちと一緒に「よかった探し」をして、感謝することを学ぶ。

幼いころに学んだこれらの教訓は、将来の人格形成や人生観に大きく影響するはずだ。

現在の若い世代の人がいとも簡単に自らの命を絶ってしまうニュースを聞くと虚しく悲しくなる。

知識を詰め込む教育も大切だと思うけれど、生命の尊さとか自然や芸術を愛するこころなど、本物の価値観や人生を左右するような学び、幼いころでないとできない教育に力を入れてほしいと切に願う。

知識の勉強は大人になってからでも、たとい年老いてからでもいくらでもできるのだから…