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ミサの鐘ひびき黄落急ぎけり みのる


散歩道にある公園の大公孫樹もすっかり葉を落として天辺に青空が透けている。

名所の燃えるような紅葉もわるくはないけれど、目立たない場所で人知れず散りつぎながら大地を覆っていく大公孫樹の黄落のほうが私の好みです。

散っても散っても尽きることがないかと思われるころが一番美しい。やがて次第に疎になっていく梢をうち仰いでいるとゆったりとした季節の移ろいを感じる。

ぎんなんは、老化防止によいそうで漢方薬では、肺の働きを高め、喘息を鎮める効果があると言われているそうだ。

神社などにある古木はたくさん実を落とすので、近隣の主婦たちが拾いにこられる。これもまた里の風物詩としてゆかしい。

近年植栽される園芸用の銀杏の苗木は、実が落ちるのを嫌われてみな雄木ばかりだという。

なんだか寂しい。



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舎利塔の霊やすかれと山粧ふ みのる


JR広島駅の北側に見える二葉山の仏舎利塔は1966年(昭和41年)世界の恒久平和を念願し、原子爆弾の犠牲者の冥福を祈るために建立されたという。

とても特徴的な形をしていて紅葉した山の頂上に白銀のごとく尖る姿はとても印象的だ。

あの日から六十数年というときを経て街の風景や自然もすっかり復興した。昭和後期、平成と平穏な時代がつづき、この平和は永遠につづくものだと思うくらい幸せだったのに、昨今の世界情勢を見聞きしていると俄に不安が募る。

「天に唾する」ということばがある。

最近の若い人たちは、このことばを本来とは違った方向に使うむきがあるらしいと聞いた。それは、

「自分より上位に立つような存在を、冒し汚すような行為をする」

という意味なのだそうだ。

いかなる理由があろうとも、人間と人間が、国と国が諍うことは決して神様が喜ばれることではない。信仰論はともかくとして、天地万物の創造主であられる神様に背く某国の言動、また強硬手段に訴えてそれを抑圧しようとする動き、いづれも「天に唾する」行為と同じだと思う。

その結果は必ず自らに帰依し破滅への道につながることは明白で、世界の歴史がそれを証明している。

幼子でもわかるようなこんな簡単な原理になぜ気づかないのか不思議でならない。



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松天へ傾ぎ紅葉は池の面へ みのる


俳句の学びを初めて七年が過ぎたころ、紫峡先生から男性だけの吟行句会を発足せよとの指示が出ました。手元の資料を調べてみると、平成二年二月に須磨離宮公園で第一回涼風句会が行われています。

紫峡先生64歳、みのる47歳、いまから27年前です。

毎月、吟行地を選んで下見をし、句会場を探して具体的に計画します。乗換案内や簡単なガイドを付して案内状を作成し、前回句会の紫峡選をまとめた成績表と一緒にメンバーへ郵送します。

“会社勤めをしながらだから大変でしょう”

と、みなさん心配してくださるのですが、本人は全く負担と思わず、今だから白状できることですが、俳句第一、仕事は第二というような生活でした。

ところが五年後の平成七年一月十七日、阪神淡路大震災が発生します。震災復興に忙殺され結社のお手伝いは言うに及ばず、俳句を詠むことすらままならな状況に一変しまったのです。

あまりの激変に精神的にも病んでしまい結社離脱。

仕事が落ち着いた数年後、何度か結社復帰も勧められたのですが勇気が出ず新しい道を求めて祈っていました。そのときに震災で一躍注目され始めたインターネットでの活動を示されたのです。

やがてゴスペル俳句物語へと展開していくのですが続きはまたの機会に…