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をみなみな少女の顔に雛愛づる みのる


今年で最後になるかもしれないと聞いて、藤井寺佐藤家のひな祭りにでかけた。 84歳だと言われる雛あるじの話だと今年で36年間続いているそうで、毎年「今年が最後かも…」という思いで続けておられるとのことでした。玄関を入るとまず目に飛び込んでくるのがこの荘厳な雛壇。

 

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金屏に四川の山河展けけり みのる


隣の部屋には、いろんな内裏雛が並べられていた。金屏風が素敵でしょう。どこの風景なのかとお尋ねしたら、よくわからないとのことでした。 屏風は元来中国から伝わったといわれていて、屏風絵は古代から近世にかけて、唐絵や日本画でも大和絵、水墨画、文人画などが書かれてきたそうです。

 

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部屋中に赤が氾濫雛の宿 みのる


座敷はこんな雰囲気。よう子さんが、共有日記にアップしてくださた写真と同じアングルで撮ってみました。

 

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黒檀の床柱ある御殿雛 みのる


これは2階に飾られている御殿雛。正面の欄間にぎっしりと並べられている猪口は、ご主人が趣味で集められたもの。 その数は数千に及んだそうですが、いまは大半を寄贈されたそうです。

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マッチ箱高御座とす豆雛 みのる


見ているだけで楽しくなりますね。

 

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七福の神々そろふ豆雛 みのる


お雛様と呼んでいいのかどうかわからないですが…(^o^)

 

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貝合はす遊びを伝へ雛飾る みのる


貝合わせ(かいあわせ)は、平安時代から伝わる日本の遊びで、貝殻の色合いや形の美しさ、珍しさを競ったり、その貝を題材にした歌を詠んでその優劣を競い合ったりする貴族たちの遊びであったそうです。

 

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美人画を抜けきしやうな女雛かな みのる


美しい有職雛

 

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冠纓のゆるびあやうき古雛 みのる


こちらが亨保雛。面長な顔立ちと切れ長の目が特徴です。

 

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玄関の下足箱の上に飾られたかわいい下駄と草履。写真だと本物大に見えるかもしれないけれど、ミニチュアです(^o^)

外庭にも楽しいお雛様がいっぱい飾られているのですが、今日は雨で撮れませんでした。来年も開催されるかどうかはわからないですが、もし開催されたら今度はもっと沢山写真を撮りたいです。



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門波蹴散らせていかなご船戻る みのる


今年は2月26日に、兵庫漁協のいかなご漁が解禁になった。

ここ二年ほど極端な不漁が続き、解禁日も3月7日と例年より1週間以上遅かったけれど やっと回復したのかと喜んだ。ところがたまたま昨日、明石漁港の糶を吟行したので漁師さんに聞いてみたら、解禁日は豊漁であったけれど二日目には落ち込んで、糶り値も初日より高騰しているという。

関西エリアでは、この時期になるとどの家庭でも旬のいかなごを炊いて、地方に住む家族や親しい友人たちにプレゼントする…という昔ながらの習慣があるけれど、昨今では、1㎏4,000円というような高値がつくようになり、不本意ながら断念する人も増えている。地球温暖化のせいなのかそれとも乱獲の影響なのかはわからないけれど、なんとかならないものかと気をもむ。

吟行で明石海峡大橋の壮観な景色を眺めていると、その昔、地域の人達に親しまれ風物詩でもあった、たこフェリーの勇姿を思い出すが、壮観なイカナゴ漁の船団の姿さえもそのうちに消えてしまうのでないかと想像すると悲しくなる。

時代の変化だから仕方がないといわれればそうかもしれないけれど、長い年月を経て育まれてきた文化や歴史は、お金では買うことが出来ない貴重な財産である。そんな大切なものを安易な打算で簡単に壊してしまう昨今の世相や政治はほんとうに悲しいと思う。

商魂主義、ウケ狙いの目新しさを求める文芸界においても、同じことが言えるかもしれないけれど、温故知新のこころを忘れてはならないと思う。



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蝋梅に綺羅の海光とどきけり みのる


今から三十年ほどまえ四六時中俳句脳だったころの話である。

週末土曜日の朝、いつものように須磨浦公園へ吟行に出かけた。その日は、温かい玉日和で須磨の海は、眩しい日差しを弾きながら穏やかに縮緬波を畳んでいた。

そろそろ観光ホテルの庭の蝋梅が咲いているころだと足を運んでいると先客があり、まるで、にらめっこしているようなふうに身じろがないで佇んでおられた。

それが恩師の紫峡先生だとすぐに気づいたけれど、真剣なそのお姿に近寄りがたいものを直感したので声をかけずにそっとその場を離れた。その時に見た先生のお姿はいまも瞼の裏に鮮烈に焼きついている。

先生はキリスト教の牧師のご子息。訳あって牧師の道は選ばれなかったがその信仰はゆるぎがない。

対象物に心を通わせていると、神様からのメッセージのように語りかけてくるのだよ。

紫峡師から何度も教えられた言葉である。

蝋梅を睨んで動かない先生の真摯なお姿を遠目に見たとき、思わず武者震いしそうなインスピレーションを感じた。衝撃のその日以降、それがわたしの俳句スタイルとなった。

蝋梅は、満開のときも綺麗だけれど、ころころとこぼれそ落ちそうな蕾の玉がたくさんついて、その中の幾つかが日に透けてほころびはじめている…そんな雰囲気のタイミングがいちばん好きです。

そんなこんなで、ほっこりと緩みはじめた蝋梅をじっと観察していると何だか恩師の温顔に見えてくるのです。