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浜焚火命ひろひし話など みのる


神戸に住み古りて三十年を超えた。

職場の先輩に自称釣名人がおられ、せっかく海の近くに引っ越したのだからと誘われて須磨や垂水の波止釣りにもよくでかけた。

当時はまだ、浜辺で魚網や若布を干しておられる海人の姿も見られて、お喋りにも付き合ってもらえ句を拾うことができた。近代化が進むのはよいことかもしれないけれど、そうしたよき風情をことごとく犠牲にしてきている。

ヨーロッパの建物や文化のように、古きよきものを大切に守りつつ…という精神は残念ながら日本には乏しいと思う。俳句もまた然り、死語と化していく季語があとをたたないのは悲しいことだと思う。

過日、浜どんどを見たくて朝暗いうちに家を出て行き慣れた漁港まで足を伸ばしたけれど、 それも近隣配慮とやらでとうに廃止になったと言う。出漁前の浜焚火の輪に入って漁師さんたちから話を聞いた。近年は、大型のトロール船が根こそぎ収穫してしまうので、個人で小規模に生活している漁師は不漁続きで生活はとても苦しい…と。

命を張って生活している人たちが報われないのは大いなる矛盾である。真剣な顔で大人たちの話を聞いていた童顔の少年は、勉強が苦手なので将来は漁師になりたいと言った。

漁師を目指すのはとても立派な志しだと思うけど勉強も大事だから頑張ってね…と励ますと、にっこり笑って頷いてくれた。焚火のほてりで真っ赤になったその笑顔がダイアモンドのように輝いて見えた。

浜焚火漁師志願といふ子らも  みのる


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玻璃内は冬日天国海展け みのる


小路紫峡師に特訓を受けていた初学時代、週末になると須磨浦公園に出かけては句を詠んだ。

あちこち吟行地をかえて移動するのは時間がもったいない気がしたので車で15分ほどで行けるここを道場だと決めて通い続けた。今から三十数年前のことである。

冬の時期はじっと立っていると体が冷えて心も鈍くなり頭も回転しなくなる。そんなときは須磨観光ハウスにエスケープして温かいコーヒーをいただきながら推敲する。レストランの大きな玻璃窓からは須磨の海が覧けていて、たいていは穏やかな表情で縮緬波をたたんでいる。

ある日、偶然に紫峡先生の姿をお見かけした。身じろぐこともなくレストランの庭で蠟梅をじっと眺めておられるご様子で近寄りがたい感じだった。近くに智壽子夫人もいらっしゃる気配だったので、邪魔してはいけないと思って声をかけずに帰ってきた。

いまもときどき公園を訪ねて海を眺めながら、在りし日の紫峡先生を偲びつつ懐かしい思いでに浸っている。



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生涯の一転機とし日記果つ みのる


月並みな話題になるが人の生涯においてターニングポイントになるシーンは何度かある。

今がまさにその時と感じるときもあるけれども、たいていは来し方を振り返って、

“あのときがそうだったかもしれない…”

と思うことのほうが多い。

負いきれないかと思うような試練にも耐えて何とか乗り越えたられたこと、あるいは不本意な方向へ舵を切らざるをえなかったこと、そのときどきは、必死に自力で頑張って走っていたつもりだった。

けれどもたいていの場合、家族の応援や友人の助けが陰で支えてくれていたことにあとで気づかされる。物質的な支援もありがたいが、背後でずっと祈ってくれている人がいるということがどれだけ感謝なことかと思う。

どれだけ名誉を築きあげても、またどれだけ財を貯えても、所詮人は一人で生きてはいけないと思う。そんなものよりも、家族や仲間という人間関係が何にもまさる宝物だということを言いたいのである。